カウントダウン2 (大阪出発まであと3日)
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  次長・・・寂しそうに・・夜景を眺めていないでください・・。

  なるべく、早く帰りますから・・・・・・。


  最近、連日の飲み会で更新も管理職さま達のお世話もおろそかになっております。


  昨夜も・・・他社の皆様に送別会を開いてもらっていました・・。

  過去のお話が出てくると・・・心の底から大爆笑してしまいました・・。

  宴会の席で、じゃんけんに負けた人間が「はとぽっぽ」を歌うゲームを提案した木枯し。
  結局、真面目な他社の営業員が見事じゃんけんに負け、とても悲しそうに椅子の上に立ち
  「はとぽっぽ」を歌ったこと・・。

  タクシーの中で、また同じ営業マンが、酔った業界の連中と一緒に同席したのですが・・。
  なにが、どうなったか・・・その営業マンは、水性ペンで顔に落書きされ眉毛をつなげられ
  ホッペに天才バカボンよろしく渦巻きを書かれ・・・タクシーの中で大爆笑していたのは
  いいのですが・・・。

  タクシーの運転手までが、大うけしてしまい・・・タクシーは、笑いと共に車線を
  右に左によろめき・・・結局、私たちは・・恐怖を感じてしまったこと。
  さらには、タクシーで乗り付けたクラブでは、顔に落書きされた営業マンは、変質者扱い
  され、入店拒否をされていたこと・・・。(木枯しをはじめ、みんなそんなことは知らなく・・
  飲んでいたり・・)

  酔っ払って・・高級中華料理の店の活魚水槽に飛び込んだ、海老業界の極悪人がいたこと。

  話は、尽きません・・・。

  私は、長年、「海老、若者の会」という会の幹事をやっていたのです。

  結局、大阪は、もとより関西近郊の海老屋の若者が集まり、酔って、とんでもないことを
  しでかすので・・(常識では考えられない事が多発するのです。)
  幹事として右往左往したことが記憶に残ります。


  ちょっと・・・今日は、この事を書いてみませう。




  



  もともと、木枯しの先輩が、海老の勉強と親睦のために開いた飲み会なのですが、
  私が幹事をやりだしてから・・・とんでもない・・飲み会となりました。

  噂は噂を呼び、最初は10人くらいの飲み会だったのが・・最盛期には80人くらいにまで
  ふくれあがった事を覚えています。

  この「海老、若者の会」では、厳しい掟を作りました。絶対に商売の話はしない・・と
  言う掟なのです。

  と・・・言うのも・・海老業界の人間は・・酔って商売の話をすると・・喧嘩を始めるからです。

  といえども・・あまり知らない同士が集まると共通の話題は・・・商売の話しかなく・・。
  毎回・・酔って喧嘩が始まっていたように思います。

  仲裁に乗り込むのは・・幹事の私なのですが・・・決まって、私が駆けつける頃には
  何事もなかったような事になっておりました・(笑)若者の会の除名処分になるのを
  怖がっていたのかもしれません。

  この若者の会の名物は・・イッキ飲み。各社対抗、新人、早飲みレースとなると
  会社の看板を背負っているので、各社、色めきだち、ヤジや声援、怒声は、凄いものに
  なります。「ニチレイに負けたら、明日からタダじゃおかんぞ~わかっているな~」
  てな具合です。

  もちろん、新人だけではなく、30歳以上限定レース、つわものレースなどもあります。

  酒に強く、安定した勝率を誇っていた木枯し・・ビールのピッチャーイッキ飲みレースに
  参加する前にトイレに行ったことがあります・・。

  さてさて・・・ピッチャーレースは、得意分野なのでしたが・・・・。

  その時、レースが始まってから・・ピッチャーをイッキしているときに・・・天井が
  くる~って・・・廻りました・・・。

  イッキを終えて・・・「ううううっ・・・お前ら、何をした・・」と言う私に・・・
  周りは大爆笑で・・・「お前がトイレに行っている間、あのピッチャーにはウィスキーと
  焼酎とタバスコを入れておいた・・・」と言われました・・・。

  今から思うと・・・よく、病院送りになる人間が出なかったものです。

  この若者の会では、常識を覆す事が、日常茶飯事に起こります。

  ホタテ貝の殻で両胸と股間を隠し、裸で歌いだしたりする新人などは序の口でした・・。(泣)

  一番の圧巻は、酔った女性を肩車し、女性のパンツを見せびらかしながら
  人ごみでごったがえす戎橋筋、道頓堀をパレードし始めたことでしょう・・。

  当の女性も・・・ノリノリな様子で止めるわけにもいかず・・・・
  しかもパレードの最中に喧嘩がおこり・・・・・。あのときだけは・・・幹事として
  「逃げだしたい・・・・・」と本気で思ったものでした・・。

  一番、嬉しかった事は・・あまりにも凄い様相になっている時、私の事が大嫌いなはずと
  思っていたT社のO氏が、配下を集め、木枯しさんを助けろと命令してくれた事でしょう。
  統率力のあるT社は、見事に会を正常な姿にしてくれました。

  この時、O氏とは、仲良くなり、以後、人生を深く語れる仲となりました。

  今でも、この会の伝説は残っており、再開を求める声が強いのですが・・・。

  私が、大阪を去ることで・・・難しいものとなってしまいました・・。

  でも・・・・やっぱり・・私にとっても・・・人生のかけがいのない思い出。
  幹事をやっていて・・良かった・・・・・などと、今になって思うのです・・・。

  明日も更新は、難しいかも・・・なのですっ。
  

  
by simarisu10 | 2006-04-19 23:35 | 平社員休憩室
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